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「知る覚悟」
・インターネットで情報収集するときに必要なこと(発信元:304 Not Modified様)
ひねくれた考え方かもしれませんが、私はこのエントリを読んで、「インターネットで情報収集をするなら、ノイズを許容していったほうがいい」という提案の向こう側に興味を持ちました。実際にノイズを許容することの難しさについて、です。
まず、それまでノイズだと判断した(あるいはそう思い込んでいた)情報を受け入れる態度を持つこと自体、自分が今まで持っていた思考様式を一度自分自身で批判的に見つめなおすという一種の自己否定です(ただ、これは少し大げさに誇張しすぎている話かもしれません)。
次に、ノイズを許容し新たに迎え入れた情報を受け入れるキャパシティを創造しなければならないという問題が待ち受けています。私は最初インターネットを使い始めた頃、その情報の多さに頭がパンクしてしてしまいました。よほど情報を整理する力なり脳内キャパシティの広さなりが備わっていない限り、現実にノイズを許容していくことは難しいと思います。
最後に、ノイズを許容することで新たに入手した情報を適切に利用する能力が求められます。物事について理解しようとするのなら、その存在を認め、受け入れる必要があります。最初から排除を目的に理解を深めようとするれば、大抵無意味な同語反復に終わります。ノイズから情報へ、情報から自分の糧へと精製していくには、それだけ経験や教養といったもので培われた揺るぎない力が必要となるのです。
以上、ノイズを許容することの難しさについて長々と述べました。しかし、自分の議論をさらにステップアップさせたいという願望があるのなら、自分にとって都合の悪い上をすべて切り捨てているようではいけません。地に足が着いてない、宙吊りの思考で終わってしまいます。さらなる理解、さらなる向上を目指すうえでなくてはならないもの、それは「我慢」と「覚悟」だと思います。「我慢」についてはまた別の機会に譲ることとし、今回は「覚悟」について取り上げます。
現在、たとえ法律で明確に保障されていると知らなくとも、私たちには知る権利があります。というかぶっちゃけ、「知る権利」なんてたいそうな言葉を使う必要性自体ほとんどありません。知りたくない情報でもインターネットを繋いでいればいくらでも知ってしまいますし、知られたくない情報でもWinnyを介してどんどん流れ出ている現状なのですから。「情報リテラシー」などという言葉が本格的に議論の的として扱われるようになったのは、ブロードバンド技術の進歩でお茶の間と世界が交わるようになってからでしょう。
今私たちが目を向けなけれならないのは知るという行為のその先へと変わってきています。情報を知って上で適切な行動が取れるかどうか。これは「情報リテラシー」という能力的な観点で語られることが多い概念ですが、情報の利用・活用に責任が伴うのだとしたら、その責任は情報を知った時点ですでにそれを手に入れた個人へと存在しており、情報を知るにはその責任を負う覚悟が必要だと思います。
もちろん、知るという行為に対する責任を果たす覚悟を裏付けるものとして、自信なり能力なりが必要であろうことはわかります。しかし、どんなに背伸びをしようがどんなに工夫をしようが今の自分自身で情報についてあれこれ判断しなければならないことには変わりないわけで、最終的には情報を知ろうとする人に「知る覚悟」があるかどうか次第だと思います。
例えば、企業の経営者が粉飾決算をしようとすることがあるのは、知ってしまった悪い情報をもみ消したいからでしょう。たとえ悪い情報であっても知る覚悟がないのなら、最初から知ろうとしなければいいのです。そして、最初から知る気がないのなら、経営者になるべきではありません。
また、いろいろなブログを見ていると本文についてきちんと言及することなくただ自分の主張を並べ立ててブロガーを批判しているだけのコメントを見ることがありますが、記事を読んだ上での批判をする気がないのなら最初から読むなと言いたくなります。これも、記事を読む前から読者に情報を受け入れる覚悟がなかったからでしょう。
昔「スルー力」なる概念が議論を巻き起こしていました。今はある程度情報をスルーした上で残った情報をどう利用するかが重要になってきていると思います。スルーはある程度「我慢」の精神が必要でした。情報を有効に活用する資質があるかどうかも、ある程度「覚悟」の精神が関与しているものだと思います。
元記事からかなり脱線してしまいました。ニュースサイトを運営しているまなめさんは、多分私なんかより相当覚悟を決めているところがあり、だからこそ「ノイズを許容しなさい」とその行為の難しさを知った上で言い切れたんだと思います。だって、ニュースサイトってひとたび間違った判断を行えばリンク先を炎上させかねないわけじゃないですか。それが自分にも降りかかってくると考えると……、私にはまだまだ覚悟が足りませんね。
ひねくれた考え方かもしれませんが、私はこのエントリを読んで、「インターネットで情報収集をするなら、ノイズを許容していったほうがいい」という提案の向こう側に興味を持ちました。実際にノイズを許容することの難しさについて、です。
まず、それまでノイズだと判断した(あるいはそう思い込んでいた)情報を受け入れる態度を持つこと自体、自分が今まで持っていた思考様式を一度自分自身で批判的に見つめなおすという一種の自己否定です(ただ、これは少し大げさに誇張しすぎている話かもしれません)。
次に、ノイズを許容し新たに迎え入れた情報を受け入れるキャパシティを創造しなければならないという問題が待ち受けています。私は最初インターネットを使い始めた頃、その情報の多さに頭がパンクしてしてしまいました。よほど情報を整理する力なり脳内キャパシティの広さなりが備わっていない限り、現実にノイズを許容していくことは難しいと思います。
最後に、ノイズを許容することで新たに入手した情報を適切に利用する能力が求められます。物事について理解しようとするのなら、その存在を認め、受け入れる必要があります。最初から排除を目的に理解を深めようとするれば、大抵無意味な同語反復に終わります。ノイズから情報へ、情報から自分の糧へと精製していくには、それだけ経験や教養といったもので培われた揺るぎない力が必要となるのです。
以上、ノイズを許容することの難しさについて長々と述べました。しかし、自分の議論をさらにステップアップさせたいという願望があるのなら、自分にとって都合の悪い上をすべて切り捨てているようではいけません。地に足が着いてない、宙吊りの思考で終わってしまいます。さらなる理解、さらなる向上を目指すうえでなくてはならないもの、それは「我慢」と「覚悟」だと思います。「我慢」についてはまた別の機会に譲ることとし、今回は「覚悟」について取り上げます。
現在、たとえ法律で明確に保障されていると知らなくとも、私たちには知る権利があります。というかぶっちゃけ、「知る権利」なんてたいそうな言葉を使う必要性自体ほとんどありません。知りたくない情報でもインターネットを繋いでいればいくらでも知ってしまいますし、知られたくない情報でもWinnyを介してどんどん流れ出ている現状なのですから。「情報リテラシー」などという言葉が本格的に議論の的として扱われるようになったのは、ブロードバンド技術の進歩でお茶の間と世界が交わるようになってからでしょう。
今私たちが目を向けなけれならないのは知るという行為のその先へと変わってきています。情報を知って上で適切な行動が取れるかどうか。これは「情報リテラシー」という能力的な観点で語られることが多い概念ですが、情報の利用・活用に責任が伴うのだとしたら、その責任は情報を知った時点ですでにそれを手に入れた個人へと存在しており、情報を知るにはその責任を負う覚悟が必要だと思います。
もちろん、知るという行為に対する責任を果たす覚悟を裏付けるものとして、自信なり能力なりが必要であろうことはわかります。しかし、どんなに背伸びをしようがどんなに工夫をしようが今の自分自身で情報についてあれこれ判断しなければならないことには変わりないわけで、最終的には情報を知ろうとする人に「知る覚悟」があるかどうか次第だと思います。
例えば、企業の経営者が粉飾決算をしようとすることがあるのは、知ってしまった悪い情報をもみ消したいからでしょう。たとえ悪い情報であっても知る覚悟がないのなら、最初から知ろうとしなければいいのです。そして、最初から知る気がないのなら、経営者になるべきではありません。
また、いろいろなブログを見ていると本文についてきちんと言及することなくただ自分の主張を並べ立ててブロガーを批判しているだけのコメントを見ることがありますが、記事を読んだ上での批判をする気がないのなら最初から読むなと言いたくなります。これも、記事を読む前から読者に情報を受け入れる覚悟がなかったからでしょう。
昔「スルー力」なる概念が議論を巻き起こしていました。今はある程度情報をスルーした上で残った情報をどう利用するかが重要になってきていると思います。スルーはある程度「我慢」の精神が必要でした。情報を有効に活用する資質があるかどうかも、ある程度「覚悟」の精神が関与しているものだと思います。
元記事からかなり脱線してしまいました。ニュースサイトを運営しているまなめさんは、多分私なんかより相当覚悟を決めているところがあり、だからこそ「ノイズを許容しなさい」とその行為の難しさを知った上で言い切れたんだと思います。だって、ニュースサイトってひとたび間違った判断を行えばリンク先を炎上させかねないわけじゃないですか。それが自分にも降りかかってくると考えると……、私にはまだまだ覚悟が足りませんね。
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